昭和51年07月14日 朝の御理解



 御理解 第90節
 「上から下へ水を流すのはみやすいが、下から上へ流すのはむつかしい。道を開くというても、匹夫の俗人から開くのじゃから、ものがむつかしゅううて暇がいる。神のおかげで開かせてもらうのぞ。たとえ一時はむつかしいことがあっても、辛抱してゆくうちには徳が受けられる。」

 この御理解はお道の教師に対して下さった御理解でしょうね、道を開くと言う風に。まぁ言うならば玄人に対する御理解。道開きをする言うならば、何にもない中から開くのです。問題は人が助からなきゃなりません。だからやはり徳を受けなければ人は助かりません。そこでその徳というのが難しい事がある、けれどもそこを辛抱していくうちには、徳が受けられると教えておられる訳です。
 けれども私は合楽の場合は、皆んなやはりがここのおかげを頂いて貰わねばならない、又は神様もそこに願いが置いてあるように思うです。どうでも合楽の皆さんがです、本当に銘々お徳を受けておかげを受けられる、それもまぁいうなら目覚ましいおかげ。誰が見てもおかげと言わなければおられない程しのおかげ。そういうおかげを受けてもらわなければ、言うならば合楽示現活動という、和賀心時代をいよいよ世界に広めていこうと言う様な、大きな願いを合楽にかけられておる。
 神様としてはですどうでもやはり徳を受けてくれよという信心を、言うならば神様は教養なさっておられるような感じがする。おかげから入ってそして信心、信心から言うならお徳を受けて行く道を、だからお互いのおかげの道を開くというてもです、その時その時頂いたおかげというのは、道が開くと言う事にはならん、どうでも道開きのおかげを頂かなきゃならん。
 昨日は十三日会で大変盛会でした。もう皆さんの発表もうそれこそ拍手喝采で、お話しを聞かせてもらいました。ところが中に久富勇さんが指名をされて、発表致しました。素晴らしい順序立てた、そしてお話しは素晴らしいお話しでした。ところが勇さんのお話しだけに拍手が来なかった。もちろん勇さんの心の中にとてもとても恥ずかしゅうして、拍手どんが来る様な事じゃない、私は長年信心ばっかりしておるけれども、おかげ頂ききらんのだから。
 もうそれこそ親先生の顔が見られん位にあると言う様な事が、先に話されての話でしたから、なんとわなしに陰に籠った様なお話であった。私は昨日その事について色々思いもし、また話もさせて頂いたんですけれども、神様からねお互いの信心振りというものが、神様から拍手が来る様な、あのう信心でなからなければおかげになりませんです。例えばあのう皆さんがお勇みを沢山頂かれますよねぇ、最近はお互いの家の神様でも非常にお勇みが激しゅうなった。
 私はお勇みというのはある意味においてのね、神様の拍手だと思うんです。そうだそこなんだよと神様がこう勢いづいて下さるものなんです。拍手というのはそうですよね、素晴らしいと思うから拍手が起こるんです。まぁ中にはまぁやっとかっと手が鳴るという場合もあるし、けれどもその大体拍手というものは素晴らしいと思うから拍手が来るのです。私はお話を頂かせて貰いよって、勇さんのお話が一番素晴らしくてしかも金光教的で、そして事実を言うたらこの様にもおかげを受けておられるという、お話をなさっておられるのですけれども、おかげ頂ききらんおかげ頂き切らんだから恥ずかしい。
 こういう話だから拍手が来んのです。皆さんも御承知の様にもう何十年間の信心です。奥さんがもう医者でも薬でもどうにも出来ないという難病、それが兄さんの久富繁雄さんの御導きでお参りされる様になり、もうそれこそ奇跡的なおかげを頂いたのが、そもそも信心の始まり、それからもう十何年でしょうか、二十年近くの信心を段々続けていかれる。本当に信心させて貰うてこんなに繁盛のおかげを頂くだろうかに見えたけれども、その半ば程からもう右と願えば左、左と願えば右と言った様な時代がずっと続いた。
 その上かてて加えて奥さんが病気、自分も現代の医学ではどうにも出来ないという体が動かない、いわゆるリュウマチの病気。まぁせめてそのうおかげを頂いておられるということは、毎日自動車の運転だけは出来ますから、毎日自動車でお参り出来ると言うだけが、まぁおかげを受けておられる。田んぼも誰もする者がおりませんからみんな、みんなというか殆ど外されました。本当に合楽の教会でお百姓さんが、段々信心した時に田んぼば売るらなやったという人はこの人一人です確かに。
 だからそういうところだけの面を見ると、信心をこれ程しておるのにしかも去年その奥さんは亡くなられた、自分は五体このような不自由な、本当に長年信心ばっかりしておるけれども、私は恥ずかしゅうて親先生に顔が合わせられん、おかげ話というても本当に皆さんに言うならば、聞いて貰える様な話じゃないけれどもと、言った様な内容の話でありました。そして家内が亡くなってこの方、丁度もうやんがて一年になりましょうが、その間に子供達が、次々とおかげを受けて行かれる話をなさいました。
 大阪の方に、浮羽高校をそれこそ一か二かという成績で出ました。だから大きな何んとかという大変有名な会社に採用されて、そしてコンピュ-タ-も学校に会社の方から一年間やらせて頂いて、特別な技術を身に付けて、もう大変若手ながらもまぁ嘱望されてやったけれども、お母さんが亡くなり、お父さんが不自由な体であれですから、どうか福岡当りに転勤を願われたけれどもそれが出来なかった。というのでそんなら九州に帰って、あちらで就職しようて言うので、そちらを辞めて帰って来た。
 私の所の幹三郎と同級生です。中々頭のいいまじめな青年です。それがちょうどお母さんの霊祭を、あぁそうですね一年祭を奉仕させて頂きましたのが、数カ月前だったでしょうか、もう本当に本当にあのう実意のこもった霊祭でした。子供達もみんなおかげ頂きました。その霊祭を終えたその翌日、久留米のコンピュ-タ-なんか専門のあれを採用してあった、沢山の中から選ばれて採用通知が来た。
 昨日も勇さんが言うておられましたが、大変大きな会社じゃないけれども、本当に自分の仕事が小さい会社だからこそ、やりがいのある仕事だというて大変喜んで、まぁ毎日出勤しておると言うお話であった。一番下の妹が今年高校卒業しました。おかげでそれこそ井上さんのおかげち言う訳じゃなかろうけれども、あちらのお父さんが務めておられる銀行に採用されて、もう本当におかげ頂いて、もうとにかく良く出来た娘です。信心も本当に熱心です。
 だから井上さんが言われた。お父さんあのう久富さん方のみどりちゃんば雇いなさらんなら、銀行の損ですよち言うたとか言う位に素晴らしい娘ですよやはり。もう心掛けといい頭といい素晴らしいんです。そして子供の時から信心で鍛えとりますからね、おかげで採用になっておかげを頂いとります。先月だったでしょうか、一番長女の清子さん、いうならば家を支えておる、生活を支えておったその清子さんが勤めを辞めて。
 そしてそれこそ提灯釣鐘釣り合わんというごたるところから、良縁のおかげ話があって先月でしたかおかげを頂いて嫁入りました。だからそういう話を聞きますと、そこんところだけを話すならね、素晴らしい金光様の信心ちゃおかげ頂くというてね有り難い。けれども決して金光様の信心しておるから、お天気の日ばぁっかりという事じゃ決してないという事。それこそ一時は難しい事があるけれども、辛抱していく内には徳が受けられる。その過程を通っておるのである。
 しかもお母さんが亡くなってばたばた三人の子供が、三人共に素晴らしいおかげを頂いていっておる、これからならお父さんのあの不自由な体が、また健康のおかげを取り戻す程しのおかげを頂かなければならんけれども、おかげを頂いてじっとおかげを受けて来た。言うなら過ぎごし方を思うてみる時に、様々なところを通らして頂いたが、本当に子供の為に、親は犠牲になって良いとすらいうのが親心というのであるのですから。
 ただ自分達のいうならばつたない信心、つたない修行で、子供達が一人一人この様な輝かしいおかげを受けて行くと言う事は、考えて見ればもうどれだけお礼を申し上げても、お礼を申し上げても、それこそ体はこう不自由ですけれども、有り難涙に暮れておりますと、言った様な話が出来たらね、素晴らしかったんです。そしたらもう拍手喝采じゃったでしょう。
 ところが親先生に合わせる顔がないとか、神様に対して相済まんとか、何十年こげんやってお参りしよるばってん、おかげも頂ききらんなという話だから、陰に籠っていうならば湿っぽい拍手しようにも拍手しようもないような、言うなら嘆きの話のような感じですから、拍手が起こらなかったんです。そしてこの人のここん所のおかげを受けて行くのは、私がよう勇さんに言うんですけれども、和賀心という賀の心は賀正の賀という字は、ただ喜ぶというだけの事ではありません。
 あれはおめでとうございますと行った、陽気な心が中になからなきゃいけんのです、どういう難儀の中にあっても。どんなに例えば極寒であっても、一生懸命働かせて頂くと、汗の出るごとあるじゃないか、どんなに例えば厳しい暑さの中にあってもです、一生懸命汗ぶるぶるで働きよると、もう暑さを感じんようにあるじゃないかと、どんなに苦しいところを通らして頂いても、信心修行に本当に身を入れて、信心修行させてもらうならばどういう中にあっても苦しい。
 けれども有り難いというものが生まれてくる、思うて見れば有り難うして有り難うしてという心が出て来るところまでの信心、それが徳になるのだと私は思います。併せて高橋さんのお話を致しました。いうならば合楽きって高橋さんにしろ、久富勇さんにしろもうこれ程しの信心という信心が、こりゃ私が見てそげん思うです、もうこれ以上の事は出来まいと私は思うです。お参りだけじゃありません、御用だけの事じゃありません、お供えだけの事じゃありません。
 こりゃ勇さんにも言える事であるし、いうならば高橋さんにも言える事です。誰ぁれん言うならこの二人の真似が出来る者んなありますまい、という程しのおかげを頂きながら、まぁ最近まだ会社組織になられて三年足らずですけれども、毎年いうなら赤字である、お寿司屋さんで百名からの従業員、しかも九州のあっちこっちに十カ所も支店が出来た、それはまぁ常識的に考えても、いくら寿司屋が儲かるというてもですよ、そんなに黒字黒字という訳にはいきますまいけれども。
 だからその昨日も高橋さんが言われるのに、会社のいわば規則の中に、毎年給料を二回ずつ上げていかなんならん、また盆正月には賞与を払うごつちゃんとなっとる。いうならば赤字の中にさせて頂くのであるから、本当にまぁいうならク-ッとすると言う様なお届けがありました。それこそ勇さんじゃなかばってん、私が高橋さんの顔ば、私の方が見られん位に気の毒に思う位にあるのです。けれどもねそれでは言わばおかげは受けられても、お徳にならんです。
 神様に今日も言うように本当に道開き、合楽示現活動が本当に生き生きと出来るような、おかげを頂く為にはそれこそ、金光様の信心をさせて頂きゃ、あのような輝かしいおかげにもなるんだ、開けるんだというその実証なしには人に導きも出来ません、人に示現活動も出来ません。それ程しの信心が出来ておるのに、そこに悔やみ心が出るような事では勿体無いじゃないか、惜しいじゃないか、勇さんだって一つ心をちょっとこうおき直したら、考えてみれば成程自分の身体はこうやって体は不自由だけれども。
 おかげを頂いて子供達一人一人おかげを受けて行く様を見たら、有り難うして有り難うして、信心のおかげを思わなければおられない、もうただ喜びの涙に暮れ取りますち言うたっちゃよかとこ、また事実そういう心が生まれて来なければ、私は体のおかげは頂かんと私は思うです。そう言う様な事を私は昨日御祈念が済んでから、それから少し二人をまな板に上げたようなお話しをしましたから、その事を又改めてお願いさせてもらいよりましたら、『屏山』(へいざん)という事を頂いた。
 ここの耳納山の事を別名屏山と言うんです。ちょうど屏風を立てた様な感じですね、耳納山は。だからこの耳納山を屏山と言います。それこそ屏風を立てたような険しいいうなら山である。次にはねもうそれこそ何とも言えん広々とした冬庭です、冬の庭です。もうあのう雪が少しばっかり降ってる、そこに蘇轍園があるんです。その蘇轍を奇麗にわらで包んでね、その上に少し雪がちらちら降っておるところを頂きました。ははぁ二人の場合今ここを通っておる時だなぁと私は思うたです。
 私の方の裏にあのう蘇轍園がありますね、あれは毎年わらをずっとそれこそ、もう見事にもう半年余りまで取るのが、勿体無いほど皆さんが手入れてなさってますから、もうそれこそ冬庭の一つの何というですかね、庭に品が出来るような感じですね、包んであるそれが何ともいえん、それに雪がちらちら降っておる、いうならばそれは霜雪を除けるためにあのうわらを着せるのです。だから高橋さんの場合でも、いうなら勇さんの場合でもです、今こそそのわらのつとをかぶっておる時だと。
 じっと辛抱しておる時だ、雪を除けいうならば霜を除けて、今は辛抱しておる時なのだ。しかもその辛抱しておる姿がです、また冬庭の天恵でありね、冬庭の素晴らしい風情がそこにある程しの信心、いやぁあっちはあぁいう中に本当よう辛抱しなさる、もう本当に神々しいばかりだと、本当に信心修行ちゃあ尊いごたるね、と人からでも見られる位なです、もう親先生に顔ば見せるとが恥ずかしかごたる位の信心じゃなくて、あぁいう中にもよう何十年と辛抱し抜かれたと言う様なです。
 一つ信心の喜びというか、その風情が感じられるような信心をさせて頂く時にです、その屏山、その屏風の山を越えた時です、私はいよいよもういよいよ道が開かれてくるところの、おかげになってくると思います。だからお徳を受けると言う事はそいう信心です。何かがあればもうそこでぐらぐらする、ちょっと辛い事が続けばもう神様も仏様もないと言った様な思い方をする、その辛抱こそ身に徳を受ける修行であり、ただその辛抱するのもただ歯を食い縛っての辛抱ではなくてです、苦しいです。
 けれども心から湧いて来るものは信心の喜び、生き生きとした有り難いものが湧いて来ると言う様な、辛抱でなからなければ辛抱しておる内には徳が受けられる、と言うおかげにはなってこんのです。昨日、石井喜代司さんがこのごろから、度々言われる言葉の中に、枝木とか枝とか葉とか葉というものは、安心ですと言う事をいつも言われるけども、葉が何の為の安心じゃろうかと私は思いよった。芽が出来て葉が出てそして花が咲き、実りがあったに時初めて、本当のおかげだという意味の事を言われる訳なんです。
 私も三、四日前に『葉緑素』という事を頂いたけれども、私は意味が分からなかった。葉、緑、素と書いて葉緑素。昨日高橋さんからその葉緑素と言う事について、説明を受けたんですけれども、あのうこのう緑というのは太陽の恵というかね、太陽の恩恵というですか、が充分に受けられる色だそうですね青というのは。だから青い例えばキュウリなんか全然滋養も無いと言うけどもそうじゃない、あの真っ青なキュウリをいわば菜っ葉やっぱり青い物を食べると、大変まぁ元気になると言われるのがそれなんです。
 だから葉と言う事は勿論生き生きとした心と言う事。緑という字やら色やら字やら頂きます時にゃ元気な心と言われる。教祖様でも御教えで言われてあります。元気な心で信心せよと。元気な心で繁盛を願えとおっしゃっておられます。だから繁盛を願うとか、本当におかげを願うと言う事は、その生き生きとしたです、それこそ緑の心で神様にお願いをしなければ、十二分の恩恵おかげには浴されないと言う事が分かりますでしょう。自然の理です。だからお互いの心の中にです。
 そういうそれこそ今の青葉若葉が生き生きとしておる状態のように、私の心の中に生き生きとした信心の喜び修行の喜びが、心の中になからなければいけないと言う事であります。その喜びがなからなければこの屏山を登る事は出来ません。そういう私は辛抱です。だからその2辛抱しておるその姿に一つの言うならば尊い物、言うならば私の一番修行の厳しい時分にです、本当に大坪さんこげな難儀な中に本当に有り難いとですかと、人から尋ねられる位にあったです。
 大坪さんの後ろから後光が指しよると、言う人も幾人もあったです。もう一番難儀魂魄(こんぱく)の時ですよそれが。それが有り難とうして、有り難とうしてというものがあったんです。だからあのいうならば、大きな坂を乗り越える事が出来たんです。信心してしよりゃどうしてこげん貧乏せんならんじゃろうか、という貧乏の中にあってです、次々半年余りに、兄弟三人の葬式を出さなければならない様な事が、起こって来ると言った様な事なのですから。
 いうなら目を当てられん様な中にあっても、私の心の中にはいうなら元気な心、その喜びというものはもうそれこそ溢れる様にあったんです。その溢れる様なお話しが、当時私の話を聞いて下さった方達なんです。どんなに寒い時であっても、一生懸命働けば汗が出るようになるようにです、どういう苦しい時であっても、一心に神様に打ち向こうて行きゃです、それこそ汗が出るように、有り難い涙が零れて来るような心が開けて来るです。それで時節を待つじっと来る春を待たせて頂く。
 そしてそのわらのつとが取られた時にはです、今私の裏にはもう今年はちっと遅かったんですけれどね、今はもうみんなその葉が出そろうてね、もうそりゃもう見事です。もう本当にもうそれこそもう、全部あすけ二十何本かあるけど全部あのう芽を出しとります。こういうおかげが絶対頂けれるんだと、確信していうならば富士山の間は、じっと冬籠りをしておる様なようですけれども、その冬籠りの中もはぁしるしゅうして堪えんという冬籠りではなくて。
 脇から見てから尊いような、脇から見てもそれこそ後光が指しよるような、心の状態を信心によっては開く事が出来る、それを私は信心に求めていかなければなりません。今日の御理解が、今日皆さんに聞いて頂いたお話で、この九十節の内容というものがです、今日皆さんに聞いて頂いた事が、九十節のいわば全てなんです。あぁ簡単ぁんにおかげ頂かれるぞ、簡単ぁんに金光様の信心は道が開けるぞと仰っちゃないです。
 難しい事があるしかもそれは、下から上に水を引くように難しいんだと。けれども辛抱して行く内には、徳が受けられる、もう合楽の皆さんの場合は、ただおかげに甘んじておってはならない、お徳を受けなけりゃならん。なぜそれこそいよいよ合楽示現活動に参画させてもらい。和賀心時代をいよいよ自分の周辺に、広げて行かなければならないと、言う様なです。
 信心がもう皆さんの身に付いてこなければいけない時だからであります。そして私が勇さんに申しました様に、信心にはこの陽気といういわば、天理教でいう陽気暮らしと言う事を言われるそうですが、その陽気な心がいるんです。おめでとうございますと毎日言えれる様な心がいるんです。賀の心とはただ喜びという事ではない、喜びにいうならばおめでとうございますと言う様な、陽気な心が頂けれる様な信心を頂きたいですね。
   どうぞ。